解離している今、思う。
なぜ、血縁者は死を考えさせるほど私を苦しめるが直接的に手を下さなかったのだろうか。
もちろん、それは苦しめることは一種快楽であり、生き方のひとつだからとしか言えない。
そこで、私は自分を傷つける。
そして、それも癖になり、快楽になる。
鏡合わせのように、血縁者と私は、知ってはいけない快楽を知ってしまい、その生き方しか知らない人生を歩んでいる。
ただ、こういった快楽、や、癖、も、治せるらしく、若ければ治りが早い可能性もあるらしい。
この、癖、を止めて、と第三者(私ではない)に言われた時怒りが込み上がる。
そんな生き方しか知らない私、を知らなかったんだ、この人は、と、思ってしまう。
冷静に考えたら、怪我をしている人がいたら助けるように私に声をかけてくれている人がいるということなんだなと、最近わかった。
こういう時に今までみんなごめんなさい、と、言っていたけれど、感謝の言葉を伝えるんだよ、と大切な人から教わった。
この文章のように、私は凄いスピードで生きている。