大切な指輪を2個置き引きされた
自然なものは有限で、無機物は無限だと勘違いしていた、それは私の目に付く範囲の事柄で。
1つ目の指輪は、17歳の頃s君とお揃いがしたくて、クリスマスにサプライズでプレゼントしたあこがれのブランドの指輪だった。
この時は、いつか私たちには終わりが来ると思っていたから、この一時だけでもとの思いで、お互いの左薬指にお揃いにした。
もう、5年もほぼ毎日つけていた。
もうひとつは、20歳の誕生日にs君がプレゼントしてくれた指輪だった。
私の指に会う号数がなくて取り寄せになって、到着予定日にワクワクしながら家で待っていたの覚えている。その指輪に合うネイルをしに行ったのも覚えている。
トイレで、手を洗う時、指輪を外して、うっかりしてしまった。
20分後に戻るともうどこにもなかった。
失ったことで、失望されたと勝手に思った。
連絡を入れると、しょうがないよと、返信が来て、この呆気なさに、また私には無関心なんだなと感じ取ってしまった。
お互い、誕生月だから、まあ、また、お揃い買おっか、と連絡が来た時、あ、そっか、そうでした、s君は、そして私の周りの人達は置き引きされた私を責めて怒ったりせず慰めてくれる人達ばかりだ、とパッと冴えた。
でもやはり、失ったことの辛さと、置き引きという現実の醜さに脳みそがグルグルと熱を持って回って、ダメになりそうだった。
どういう風に過ごしたらいい?
どういうこと?
ODとか
リスカはしないで、こないだせっかく手術してもらったんだから。ODは死なないって言い切るならしてもいいよ。
リストカットのこと、なんで私は自分の問題なのに他人事のように扱うのだろう。
でも、ニュースで流れる血を見る度に自分の体がカンナで削られるようなどんどんとなくなっていく気分になる、私はそんなことを、身近な人に味あわせてしまっている。
私の流す血は、ザクロでもグレープフルーツでも無い、ただ、体液で、嘘なんてひとつもない。
しないで、死なないで、居なくならないで、消えないで、全ての物事に私は常に思っている。だけど、それに近づく行為を私はずっとしていた。もう、だめだ、本当にもう、こんなこと、やってたらだめだって、自分を責めるわけでもなく、やめようと思えた。
その日の夜は、たくさん課題をやって、お酒を沢山飲んで、次の日の夜まで眠った。