日々

私の日々

お父さんが死んだとき

火葬場のシャッター

 


タイムラプス

ベッドから外を見る

夜から朝

定期的に

季節

リストカット

私の背中

 

 


小さい頃、お父さんが焼き鳥を持って、玄関をガチャっと開けて、帰ってくるんじゃないかって、毎日考えてた。

いまは、もう、何も考えない

いまは、もう、何も考えない

 


後ろを振り向くと、誰もいない

誰もいない

 



なんで焼き鳥かと言うと、私たちは吉祥寺に住んでいて、お父さんは井の頭公園のちかくのいせやが好き、だった?ような、はず、で。

何故か私は、お父さんが玄関をガチャっと開けて家に入ってくるイメージがあって、それで毎回、なにか食べ物を持っていたような気がして

 


それを一緒に食べたり食べなかったり

 


しょうじき、5歳の頃の記憶なんてあんまりなくて、人から教えてもらった情報を、勝手に映像にして記憶を作っているような気もする。

 


お父さんがうたたねしている時、爪にこっそりとマニキュアを塗った

それでどうなったとか、なんて言ってたとか、覚えてない

 


なぜ覚えてないのだろう、覚えられないのだろう、

ここ数日の日記

生きている意味がある人なんてこの世に一人もいないのに、死なない言い訳考えて、

だって、死ぬ理由ならみんなに沢山あるのにね

こうやってみーんなが生きていること自体が、欲でしかない、

私が生きてるのは、欲があるから?

 


大学の健康診断で、今年に入って5キロ以上減りました?っという項目に、チェックをつけたら、理由を聞かれた

 


鬱です、あ、はい、鬱です、躁鬱とかじゃなくて、あ、はい、普通に普通の、鬱です

診断されたのは16からです

あ、あと、PMSです、はい、あ、そうです、月経のあれ、困難症、みたいな、はい。そうです。

 


明るいのにねって、言われた

 


いつもなら、こういう言葉に傷ついたり、深く考えすぎてしまったりするけれど、担当してくれた人が、本当にそう思ったから言っただけなのがつたわって、嬉しかった。

知らない人から、第一印象として、明るいって、言われて、一般的に私はそう思われてるんだって、幸せだった。

低体重なことをしんぱいされるのも嬉しかった。

 


ここ数ヶ月、スレンダー、とか、華奢、とか、いわれて、ほんとうに舞い上がってクルクル回って踊る自分が私の中にいる、すごい幸せと同時に、危険が自分に近づいて来ているのがわかる。

全身脱毛をして、細くて、幼児的な体つきをしていると、自分の過去を肯定している気持ちになるし、発育が早くて苦しかった自分を救っている気分。

 


骨盤の広さ、関節の太さ、骨の成長を元に戻すことが出来なくて、苦しい。

他人に体を褒められて、顔を褒められて、なおかつ実行に移されることの嬉しさ。寒くなってきて人恋しくなってるのかもしれないけれど、単純。

これが私の欲である。その感情に関して1歩引いてる自分もいるから心の底から楽しめない。

相変わらず、顔は丸いしどんなに低体重になっても服を着ていると、そんなに気付かれないのがしゃくだ。

 


こういう文章を書いているときのひよちゃんと、人に会ってる時のひよちゃんは、全くの別人格で、その2人を冷静に見ている第3のひよちゃんが本当のひよちゃん

だから、みんながみているひよちゃんには、今まで通り、明るくて、清楚なひよちゃんを求めることは間違いじゃないよ。

この3人のひよちゃんを使い分けることに違和感はないのだけれど、私が死んだら、誰が生き残るのか、たまに不安になる。

だから私は日記を書くのだけれど。

毎日

 

“今どき、テレアポとか、ジムのパートでも時給2500円超える、水商売やってる女の子はほんとに頭悪いし、日常生活出来てないようなやつがほとんど”
みたいな、内容のツイートを学部で一番嫌いな男子がいいねしてた。
テレアポのバイトを落ちた、理由はたぶん足し算出来ないから。
高校の同級生は受かっていた、何が違うか分からないけれど何もかもが違うのは分かる。
テレアポ受かった友達と一緒に時給2000円で水商売をしてた。
嫌いな人のsnsをわざわざみて、傷ついて、1日寝込む、でも安定剤のせいで頭は冴えてる。これが日常生活ができてないってことなんでしょう。自覚はある。

アクセサリーを手作りしながら、いつかつける日のことを想像してる。


日常生活を作るならもっとやるべきことがあるんだろうけど、目の前にある燃えるゴミを無視して私は手縫いでヘッドドレスを作る。
友達がストーリーにかまってちゃんのライブの感想を載せていたので、妄想で「私も好きなんだ!花ちゃんはリスか!名曲だよね!今度一緒に行こうよ!」と言って、1人でかまってちゃんみてニコニコしてる。


LINEしても全く返信が来ない

というか音信不通

私は30秒以内に返信するのに。サーバー上で好きな人から私の携帯に送られてくる予感が伝わってくる。

 

本ってなんだ

 

わたしは、本という媒体、漫画という存在、全てを愛していて、それに関わる人間、言葉。

 


最近自分の中で色々と、本、に関して思うことがあり、ゆっくりと考えてみたのだけれど、一つの作品、一つの言葉、誰かが生み出した“それ”を、本、という物以上の意味合いを持たせることはあまり良くない事だなと思った。

一冊の本、一つの言葉、一つの物語、形であり、物であり、たった一つである。

それでいいじゃないか。

 


必要以上の情報、意味合いを持たせることで、言葉の一つ一つの意味が変わってくる。無意識のうちに、人間は関連性を考えてしまう。

 


血の繋がり、遺伝子、家庭環境

もちろん、それらは人間という生き物であるから、関係しているのだけど、その“人”が生みだした言葉や物語は、その人だけのものであって、遺伝や、生活は関係ないと私は思う。

考えて、脳が動いて、手が動いて、生まれるもの。それらはたった1人で行われる事で、著者に関わる全ての人はそれを理解しなければならない。

 


一つの物語をつくりあげ、本、という形になり、本屋さんに並んで、誰かが買って、読んだり、読まなかったり。

それが本というもののあるべき姿で、なぜ、それ以上を求める人が多いのだろうか。私には分からない。

 


それは、私自身が、たくさんの他人から、ひとつのフィルターをかけられて見られてきた20年間だったから、そう思うだけで、きっと、色々な考え方があって、色々な人間関係、家庭環境があり、出来上がるものなのだろう。

 


それらを利用して、お金や感情を動かそうとしてくる大きな“もの”たちの存在に私は悲しくなる。

 


生き物全てにもおもうのだが、本など、物、に対してもあるべき姿でいて欲しいと日々思う。

筋トレ

コロナ禍で家にずっとこもっていると、鏡をよく見ることが増え、二の腕の太さに驚いて筋トレを始めた。

私は基本的にTwitterの情報を鵜呑みにするので、メンヘラは手首切らないで筋肉切れ!みたいなツイートがあったのでこれを機に自傷癖無くなくなるかなぁ😅😅😅と思い始めた。

結果筋肉も手首も切るムキムキメンヘラになった。

 

(私はメンヘラという言葉は好きじゃない)

 

 

お母さんは何を思って私の許可無く、私の個人情報を書いて、出版したんだろう。

本を出版する、たくさんの人が関わって、たくさんの大人が確認して、たくさんの人がお金を払って買って、そして私はごはんたべたりする。

最終的に私がご飯を食べているからそれでいいのでは?と、思ってしまっていたけれど、個人情報をつかって印象操作をしたり、人が嫌がっていることを無理矢理することはぜったいに許されることじゃない。

出版社に勤務する、普段から言葉に係わり、本を作っている大人たちが、未成年の個人情報をなぜ無断で書いてそれを販売していいと判断したのだろうか。それは、お母さん、作者1人の問題じゃない。

子どもを傷つけること、それは未来を傷つけることだ。

今まで私が全て間違っていました、ごめんなさい、と、実家のダイニングでお母さんに言われた時。

対角線上に座るお母さんと、泣いている私。

5年前のちょうど今頃を思い出す。

出演した舞台の初日が終わった日、お母さんは書かないでと言ったことをsnsに書いた。

嫌がっている私を、むりやり、押さえつけて、抵抗が無くなるまで。

抵抗しなかったから、という判決が出る事件が今も、どこかで起きている。

snsは、怖いもので、1度載せたものは絶対に消えないし、そこから枝分かれしていく情報は、更に消すことが出来ない。わたしは、大切な作品と旅しながら、作品もわたし自身も、ひとつのフィルターを通してみられている事を感じて、心はおもたく、空になっていった。

幼くて、処女で、純情で、笑顔な私でいなければ、と、努力していたら、最近まで、自分が第一人称じゃなくなっていた。

わたしが、誰かに押さえつけられて、抵抗せずに数年生きていたら、心身ともに傷だらけになっていて、もう、二度と、元の体には戻れなくなってしまった。

元の体、私のからだの本当は、なんなのか、もう分からない。

 

謝れば終わる事だと、思っているのだろう。

娘、という存在として何も言えなかった。ただ私は、これ以上言葉で人を傷付けないで、性差をこれ以上作らないで、と伝えた。お酒を飲んでいてふわふわしているお母さんは下を向いてぼーっとしたあと、お皿を洗いに行った。

お母さんはきっと、誰かに謝った方が良いんじゃない?ってさとされたんだろうな。

誰か?だれ?1人?たくさん?おおきなもの?

お母さんがかかえる大きなものをわたしは、理解できないし、お母さんにとって子ども以上に守らなきゃいけないもの、って、なぁに?

もう既に出版したものを回収するつもりもないし、これからもきっと刷るんだと思う。

壊れたものは治せないし、ひよちゃんに許してもらいたい訳では無い、って言ってて、

わたしは完全に壊れてしまったけど生きていたいからたくさんの人に治してもらっているけれど、お母さんはなおしてくれない。

 

教育本と名乗って存在するその本は、たくさんの大人が買って、たくさんの子どもが読むことになるんだろう、ほんとうにごめんなさい。

わたしが、止めることができなかった。この世に、誰かを押さえつけて、抵抗がなくなったから、出したものなんて、存在しちゃいけない。

 

もしわたしが、疲れて、どこかで諦めてしまっても、美談にされてしまうから、これを見ている人はそれをどうか止める人でいて欲しい。

みえない暴力を、人を殺す言葉を、

わたしは生きていたいし、生物でいたい。

 

延期って、なんだろう。

楽しみにしてたものがどんどん無くなって悲しくなりつつも、自分がやらなきゃいけない事、やるべき事が見えてきて。

5年前、15歳の頃色んな経験をしてあたふたしてたらもうすぐ20さい。

当時、”ないもの”を見ようとするのは良くないことだと思っていたけれど、今は大体のものが見えてしまう。

それゆえ、今の自分にできることがあるし、できないことがある。どっちが悪いとか、無いんだろうね。

実家に住んでたのが、一人暮らしになり、飼ってた犬が死んじゃったり、自分が死のうとしたり。

 

過去の自分が自分じゃないように感じていた5年間、自分が何をしていたのか何を見ていたのか、思い出すと苦しくて、考えようとしていなかったけど、向き合うべき時なんだと思う。

今でも頭の中で自分が永遠と今の自分の行動をト書にしていて、少し前の自分とは同じように体も心も動かせなくなって、何も出来ない自分が苦しいけど、元気にニコニコ生きてるだけで身近な人間は喜んでくれると思って今日もがんばる。(KONAMI)

 

大きな声で私は病気になっちゃったよ〜んって言いたい。