排泄体液痛み粘り

少し前の日記

 

 

ちょうど五年くらい前、15さいとかのとき、人から出た吐瀉物や排泄物を使った作品や、モチーフにしたものがとても苦手だった。生理的に無理!という感じで、説明のできない気分の悪さを感じていた。

 


ただ、血液や、生理、おりもの、それにまつわる私の生活、大型犬の介護の経験や、今年の初めに胃腸炎になったり、と、しているうちに、生理的に無理とか言ってる場合じゃないな、と思った。

というのも、吐瀉物、排泄物、生きている限り体から出てくる物を、生理的、を理由に無視するのはあまりにも無責任すぎると感じた。

 


元旦に胃腸炎になり、もう19さいのわたしぁげーげー吐いてても、家族たちはお酒の飲みすぎかな?とか思ってキャベジンを買ってきた、私は一滴もお酒を飲まず、ただシンプルにどっかから感染しただけなのに。

私の事情を知らない人からしたら、ただの二日酔いだけれど、わたしからしたら、10年振りくらいに無理やりじゃない、自然の嘔吐をしていて、結構身体的にいっぱいいっぱいだった。

 


薬の副作用でも、ご飯を食べた後に鬱に入った訳でもない嘔吐、吐き終わり、頭はクリアなのに、体の中で何かがぐるぐると動き、音を鳴らす。

ただただ、気持ちが悪かった。

と、どうじに、嘔吐と下痢を繰り返していたからか、ピルを毎日飲んでいたのに吸収されずに外に出てしまったみたいで、突然生理も来た。

(生理って来たっていうけど正式にはなんて言うんだろ)

 


と同時に、吐きすぎて器官が切れて口からも血が出て、肛門からも血が出て、とにかく沢山出血していた。

 

2021/04/0515時22分

この家も、平和な場所では無い気がしてきた、

怖いf:id:norokoro:20210405152251j:image

一人でいる方が気楽だけれど、一人でいることが怖い

これから始まる学校に私は、どうやって適応していくんだろう、そもそも、できるのかなぁ

目をつぶると自分の心臓の音がうるさくて、ここがどこなのか目を開けても分からない

そんな自分が怖い

平和な場所に、行くべきなのだろう

心のどこかで、どこに行くべきかはわかっているのだけれど、そうするとまた、何かしらのネタになり、私は永遠と紙の中に閉じ込められてしまう。

自分自身がノイズ

でも、その、場所、に行くこと、は、どうにかならないのかな。

こわいな。

いわゆる異常者になりたくない。世の中に溶け込みたい。普通になりたい。みんなができることを、私もできるようになりたい。

去年

たまにおこる

帰り道

全ての道がヘドロにつながっているような

空も、合成みたいに灰色で

涙がとまらなくて、いきもできない

ゆっくりと、息が止まればいいのにと思う

歩いている男の人全て、私のことを殺そうとしている

いっそ、もっと幼い頃に、殺してくれれば、かわいそうな子になれたのに

わたしには正義があるからが故に、かわいそうになれない

 


井の頭公園の池

ヘドロを掘り返して、捨てて、水草を植えて、新しい水を入れて、外来種は消えた

こんばんは、私は外来種です

お父さんとは血が繋がってるかも分からなくて、嫌いな人と血が繋がってるかもしれなくて

好きな人はみんな死んじゃってて

おとうさん

さとじさん

ぽんちゃん

私が産まれる前にhideはもう死んでて

 


お父さんもそうだしhideもそうだけど、死後、彼らの言葉が聞こえないことを逆手にとって、周りの大人たちは本人が生きていたら嫌がるであろうことを平気で発信して商売にする。

hideの弟とわたしの血縁者はお金の稼ぎ方が似ている

私がしんだら、あえて、太ってる時の整形する前の中二くらいの写真を世間に出すんだろう。

いつ死ぬか分からない私だから、今のうちに可愛いと思った写真はsnsにたくさんあげて、遺影は盛れてるやつだけにして下さい。

判断は女友達に任せます。

喪主は私の弟のねこのこぶちゃんで

開催会場は築地本願寺

あと17歳以前の写真は全部非公開にして

あーたくさんまだ言いたい事あったのに

もう忘れちゃった

1462文字だってさ

2021/04/01午前0時58分

 


吉祥寺の実家にて

横で猫がぷーぷーと鼻息立ててねてる

 


31の夕方、おばあちゃんと家で晩御飯を食べるために家に帰ってきた、家?

家の前におばあちゃんがたっていて大通りの方を見つめていた、おばあちゃんは私がバスかタクシーでやってくると思ったのだろう。

後ろから声をかけた。

通り過ぎるサラリーマンが、私たちの家と私の顔を交互に見てまた歩いていった。

家、には、大きく名前や、わかりやすいモチーフが描かれていて、私が何者なのかわかる人には分かるのだろう。

こういった思考は自意識過剰なのだろうか。

本当は30日の夜に向かう予定だったのだけれど、携帯の充電器を家に置いてきてしまって、そういった小さなミスをすると、私はその日のスケジュールは何もかもダメになってしまうタイプなので行けなくなってしまった。

 


31日の昼、おばあちゃんから電話が来て、ワークマンにある何かが買いたいと言う内容だった。というより、スカイツリーに行きたいという、というより、私とお出かけしたい、という気持ちが伝わってきて幸せになった。

そのあと、頭痛と眠気の中で布団に入り、3時に、血縁者からLINEが入る。

具合はどうですか?と

最近、血縁者は、どこで知ったか、私の体がバグを起こしてしまっていることを知って、粘りと接してくる。

この日の体重は42キロだった

6時前後には吉祥寺に着きます、と連絡し、シャワーを浴び化粧をして服を着て、外に出た。

ホームに立ってる時いつも思う。いつも。いつも。いつも。

 


おばあちゃんはお肉を焼いていてくれて、フキの煮物とホタテのお刺身とこんにゃく炒めたヤツと、アスパラとキノコのソテー、をつくってくれた。

 


血縁者は、ティラミスを用意していて、でもおばあちゃんも紅茶のケーキを買ってきてくれていて、圧倒的に紅茶のケーキの方が好みなのにおばあちゃんは、もめたらめんどいからティラミス食っとけみたいなことを言っていたので2人でティラミスを食べた。ティラミスも美味しかった。

 


食後、朝シャワー浴びるからいいよ、と言って、部屋で猫とゴロゴロしていると血縁者が家に帰ってきたらしく、LINEが来た

明日は9時にエアコンのクリーニングの男の人が来るけどびっくりしないでね

みたいな長文

その後に

朝ごはんも買ってきましたよ

みたいな、バグを起こした私の精神に優しく粘り強い言動を素早く、しかもどうどうと。

血縁者は、いつも、私の中に入り込むのが上手い。

いつも、いつだって、私を弱らせて、私の中に入ってきて私を固めてた。何より、罪悪感を植え付けるのがとても上手なひとだ。

私がまだ洗脳状態で愛着性トラウマが強い状態なら喜んで飛びついただろう。

お母さん、って言って

ただ、わたしは、私の中に入り込もうとしている誰か、だと言うことを分かってしまっている。

分かってしまわなければ良かったのに、わからなければ、こんなこと、わからなければずっとずっと洗脳の世界の中で生きていけば、私は理想の娘で紙の中の娘で居られて、愛し愛されることが出来たんじゃないか。

わたしは、偶然、分かってしまったから。

 


私は、今でも、入り込んでこようとする血縁者の手を握りそうになる、いや、握りたい、すごく。

でも、拒まなくてはならない。

拒まなければ、私が死んでしまう。前例を間近で見てきたから。

私にはお母さんなんて居ない。その現実をただ、ただ、受け入れる行為をすることが、今私ができる唯一の術である。

毎年毎年

20日は、命日でした

私はその前の日、病院に行く予定だったけれど体調が悪く、病院に21日に伸ばしてもらうよう連絡した。

20日は、特に何もせず、本当にただ何もせず何も食べずただ、横になり過ごしていた。

23日の深夜、血縁者の事を考えていたとき、命日だったことを思い出した、こんな思い出し方ってなんなんだよ。ほんとに人間の脳みそはクソだな。

 


あれから、何年経って、あれから、わたしは、なにを思って、私は、私は、

何も出来ていない

ただ、会いたいと思うことしか出来ていない

それは、深い意味を持った言葉なんかでは無く、ただ単純に会って話をしてまた直ぐに会える距離にいる関係になりたいということだ。

 


この、14年、私は、私は、生きていて、でも、毎年、命日、という名前の付く日がやってきて、それを私は未だに、どう受け止めたらいいのか、さっぱり分からない。

 


一生忘れることはないけれど、ただ私は受け止めることも無いのだろうと、今は思っている。

周りの人たちが親になってゆくのを見て、これから始まることは未来なのか、過去なのか考えてしまう。

死にゆくからだ

産まれるからだ

2つの出来事を目の前にした私は、ふりかえり、その道を歩くのだろう。

重ための感想

2019年12月8日の握手会があった日の感想

 


生きるのが下手だ、でもそれは自分でどうにかするべきこと。

 


しゃらくのつくる言葉と自分を重ね合わせたりしてみて、そして重なる言葉の持ち主は今日も同じ時間をどこかで過ごしてる。それだけでどんなに自分が救われたか。

頑張りすぎないでね、なんて言葉わたしには贅沢すぎる。でもその言葉に甘える。甘えて甘えて、でも現実はどんどん進んでいってしまう。

わたしの心の支えはわたしから時間を無くしてくれる。自分だけの世界と進む時間があれば、生きて行くことはできる。現実がどんな世界であろうと。