毎年毎年

20日は、命日でした

私はその前の日、病院に行く予定だったけれど体調が悪く、病院に21日に伸ばしてもらうよう連絡した。

20日は、特に何もせず、本当にただ何もせず何も食べずただ、横になり過ごしていた。

23日の深夜、血縁者の事を考えていたとき、命日だったことを思い出した、こんな思い出し方ってなんなんだよ。ほんとに人間の脳みそはクソだな。

 


あれから、何年経って、あれから、わたしは、なにを思って、私は、私は、

何も出来ていない

ただ、会いたいと思うことしか出来ていない

それは、深い意味を持った言葉なんかでは無く、ただ単純に会って話をしてまた直ぐに会える距離にいる関係になりたいということだ。

 


この、14年、私は、私は、生きていて、でも、毎年、命日、という名前の付く日がやってきて、それを私は未だに、どう受け止めたらいいのか、さっぱり分からない。

 


一生忘れることはないけれど、ただ私は受け止めることも無いのだろうと、今は思っている。

周りの人たちが親になってゆくのを見て、これから始まることは未来なのか、過去なのか考えてしまう。

死にゆくからだ

産まれるからだ

2つの出来事を目の前にした私は、ふりかえり、その道を歩くのだろう。