私が今の姿の私を肯定しないであげてどうするの。
私は、人生で初めて自分の顔と身体に満足出来ている。
というのも、努力の塊だからだ。
お金を頑張って稼いだ、トラウマから、逃れるため、12歳の頃の強制敵メスから逃れるために新たに自我のメスを何ヶ所かに入れ、私の外見は自信に溢れた。
頑張って働いた、という自主的なところも大きい。
プライドなんて、元々人権のない環境で育ったからもちろん無いし。
自我が芽生え、ある程度の自信が持てるようになった今、多少の悪意のある言葉や出来事を自分の努力というガードで少し跳ね返せるようになった。
というのも、大学の何とかセンターを使うための安全講習テストみたいなすごい簡単なテストに私は落ちてしまい、もう一度受けさせて下さいと、言った。
同じ学部の山口くんといつも一緒にいるなんとか君に、簡単な言葉でバカにされたのだけれど、私は、プライドもなんにもないし、頭も悪いし、なんとか君達みたいに恵まれた人生を今までもこれからも送ることはできないだろうけど。
私がした努力と、時間は私にしかできないことであることは間違いないことで、この努力と、この苦しみと、そしてそこからの脱却とまた続く道に私は、何度も死ぬことを考えてきてこれからも考えるのだろうけど、今日の私と彼らをふりかえって、私は、もしかしたら鉄のような無機物に近いと感じた。
わたしは、もう、人じゃない。悲しいことだけど、唯一無二とはこの事じゃないか?
醜さと集団と優劣を好むのが人間だ
私は、いつだってみんな、に入れないメスを入れたガリガリの劣等生だ。
彼らがきっと、人間の正しい姿だ。