毎年毎年

20日は、命日でした

私はその前の日、病院に行く予定だったけれど体調が悪く、病院に21日に伸ばしてもらうよう連絡した。

20日は、特に何もせず、本当にただ何もせず何も食べずただ、横になり過ごしていた。

23日の深夜、血縁者の事を考えていたとき、命日だったことを思い出した、こんな思い出し方ってなんなんだよ。ほんとに人間の脳みそはクソだな。

 


あれから、何年経って、あれから、わたしは、なにを思って、私は、私は、

何も出来ていない

ただ、会いたいと思うことしか出来ていない

それは、深い意味を持った言葉なんかでは無く、ただ単純に会って話をしてまた直ぐに会える距離にいる関係になりたいということだ。

 


この、14年、私は、私は、生きていて、でも、毎年、命日、という名前の付く日がやってきて、それを私は未だに、どう受け止めたらいいのか、さっぱり分からない。

 


一生忘れることはないけれど、ただ私は受け止めることも無いのだろうと、今は思っている。

周りの人たちが親になってゆくのを見て、これから始まることは未来なのか、過去なのか考えてしまう。

死にゆくからだ

産まれるからだ

2つの出来事を目の前にした私は、ふりかえり、その道を歩くのだろう。

重ための感想

2019年12月8日の握手会があった日の感想

 


生きるのが下手だ、でもそれは自分でどうにかするべきこと。

 


しゃらくのつくる言葉と自分を重ね合わせたりしてみて、そして重なる言葉の持ち主は今日も同じ時間をどこかで過ごしてる。それだけでどんなに自分が救われたか。

頑張りすぎないでね、なんて言葉わたしには贅沢すぎる。でもその言葉に甘える。甘えて甘えて、でも現実はどんどん進んでいってしまう。

わたしの心の支えはわたしから時間を無くしてくれる。自分だけの世界と進む時間があれば、生きて行くことはできる。現実がどんな世界であろうと。

無いものを求めて泣くことは惨めですか

 

2月28日、タコパをした帰り、化粧を落として、パジャマを着てテレビを付けたら、大家族のドキュメンタリー、的な、ものがやっていて。

 

いつもは苦手で見ないようにしているのだけれど、昨日は何故か、見入ってしまって。

岸田さんという家族は両親と子供が沢山いて、それで、住んでいる家が燃えてしまって、生活にもお金にも困窮してしまって、ただ、そんな状況を子供たちに言わなかったと。

子供たちの前では常に笑顔でいて、周りの人や親戚の手助けによって、家は再建させることになり、また新たに建築されたいえに、家族は戻った。

 


そのご、長女が結婚したり、一人一人と、家庭を離れていく中で、年少組の少年が2019年の家族写真ではGUCCIのキャップを被っていたり、時の流れと共に各々の自我の芽生えを感じ、心が浄化された。

 

そしてたどり着いてしまったのが、私のお父さんは、私のお母さんに出会わなければ、出会ったとしても直ぐに別れていれば、今もどこかで元気に、上記で記したような家庭をどこかで作っているのかもしれない。

 

でも、そしたらひよちゃんは産まれないんだよ、という反論が出てきそうだが、その可能性はない訳では無いのだ。

私の父親は未確定であることを、日々かみ締めている。それは遺伝子的な話で。

 


私、ひよちゃん、という存在は確実にどんな世界であろうと存在する。遺伝子的に誰が父親か、というのは私に関係はなく、私の言うお父さん、という人はたった1人であるのだ。

 


昨日は、わんわん泣いた、もし、お父さんが、違う家庭をつくり、今もどこかで元気に過ごす事が出来ていたら、私と出会わなくなたっていい、私のことを知らなくたっていい。

ただ、笑顔で毎日を過ごすお父さんが、この世に存在するのなら、わたしは、本当に幸せなんだ。家庭を作っていなくても、好きなことをして、友達がいて、毎日健康に美味しいご飯を食べているお父さんが同じ世界の空気を吸っている事実があれば、私は安心して眠れる。この世界に色ができる。

 


さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう

働けないのって怖いよね

病院の先生に、まだ、バイトだったりとか、心身に刺激をもたらすものは少し控えて欲しいというのが本心ですね。

と言われた。

 


私は、偶然、お金を沢山使ったり、お金を使うのが怖くて貯金が少しあったから良かったし、なんだかんだで血縁者が仕送りをくれることになり、過ごしていけてる今、だし、18~19歳の水商売時代は仕送りを一切使わない、という自分ルールの元過ごしていたから、その分も溜まっているし、食費も対してかからず、友達も多い方でもないし、アウトドアな方でもないし、バンギャルだけどチェキは多くて4枚しか買わないし、全通はよっぽどじゃないとしない。遠征する時は、1番安い夜行バスに乗る。

 


ほんとに、これは、偶然で、あの時、あのまま、この身一つで追い出されてたらきっと、このカウンセリングの先生にも出会えていなかったしそもそも生きていなかっただろう。

学びを得ることも、今こうやって自分の感情を文字に残すこともできない環境だっただろう。

この、偶然、偶然、偶然、は、本当に、奇跡、と言って良くて、この、偶然、は当たり前ではなく、そして、平等に与えられたものでは無い。

アルバイトは避けて欲しい、と言われた時、私ではなく、私ではないだれか、誰かのことをわたしは、心配した。

心配、という言葉でしか表せない/出来ない、自分のやるせなさ、力のなさ、世の中への不満に苦しくなるばかりだが、そんな、誰か、は、いつか、のわたし、かもしれなくて。

いま、心配しているのも私で、心配されているのもわたし、で。

いま、出来ること、現実的に考えられる対策、少しづつやることが誰かを救う術なのかもしれない。

大学の授業で出たクソみたいな課題に対して私が提出したやつ

chapter.1

22日の夜、早めに眠れたのに、12月23日になった深夜3時、私は目が覚めて、眠れず、この課題に悩まされていた、嘘を書くか、書かないか悩まされてる間、同じような悩みを抱えている人は何人居るのだろうか、いないのだろうか。

そんなことを考えていた。

 


chapter.2

プライベートを切り取るというのはどういうことなんだ。

本当のことを書けばいいのか、テラスハウスのように、面白おかしく、楽しくフィクションの事実を書いて、講評で褒められるならば、自殺するだろう。

 


私は、自分のことを、書きたくない、誰にも見られたくない。先生たちがなぜ、特に今という時期に、プライベート、という苦しくて生々しい領域をデザインという授業で題材にするのか、私にはまったく分からない。

 


こんな時間に、そのちゃんにらいんをした。

 


23日の深夜、4時頃、苦しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。

 

 

 

chapter.3

ここ数日私は、真っ黒な不正出血が止まらない。

出血の止まらなさと、この課題を向き合わせた時、本当のことを書くことが、私にとっていいことなのではないかとおもった。

 


抗不安剤2睡眠薬7を飲む。

 


自分の手首から脂肪が見えたとき、さすがに危ないと感じ、少し曖昧さが解けた4時40分手首に生理ナプキンを貼り、上からテーピングでカチカチに固めた。

 


生理ナプキン「え?ここに貼るんですか?」

ひよ「そうだよ」

 


ニアデスハピネス

 


4時56分に別に痛くもないのに痛み止めを飲む。眠りたくもないし起きていたくもないけど眠る。

 


最近強い人になりたい、何となく椎名林檎を妄想。

 


ケミカルな毎日。

 


chapter.4

7時44分起床

 


朝の空気は気持ちがいい。

 


-立ち上がり体重計に向かう、ふらついて、座り込む、立ち上がる-

 


体重は46.1キロ昨日より1キロも増えていた、昨日今日の変化は水分らしい。

最近低体重気味で登校するのもしんどくおばあちゃんくらいの歩幅で歩いているのでそろそろ体重を50キロに戻したい。

 


部屋には昨日の夜の残骸があり臭かった。そして、このことも書かねばならないことで、自分自身のことで、受け入れるしかない事であることもわかっている。これが最後だと本当に決めている。

 


chapter.5

とても楽しみにしてたイベントがあるからわくわくしている。昨日そのちゃんと一緒に買ったアイシャドウがとても良かったので使うのが楽しみ。

 


最近、枕元には大槻ケンヂのステーシーズを置いている、ニアデスハピネスというのは、この小説に出てくる言葉で、死の間際に見せる、少女の笑顔のことである。

コロナと私に近い何かを感じる。なにか作品を作らなければながらない気がしてモゾモゾする。

 


換気している窓の、透けるレース、電車の音、寒いかぜ、近所のすごく小さい踏切。

朝お迎えられたこと、嬉しくなる。

 


-2度寝-

 


chapter.6

12時に起きるつもりが13:48分に起きる

背中と、お腹にカイロをとりあえず貼った。

大急ぎでヘアメイクしてなんとか予定の電車に乗り込む。

 


大急ぎだったので写真なんて撮れない。

渋谷に向かいネイルにゆく。アルコール消毒を毎日毎日するようになり、肌の弱い私は、爪も割れるようになり、爪を守る為にもネイルしてもらうようになった。

 


そのちゃんからの返信に心が強くなる。

 


15:55渋谷のネイルサロンに到着

基本的に綺麗なお姉さんがきれいなお姉さんの爪やまつ毛を触っている空間なので居心地が良い。

 


冬らしい、雪の結晶のデザインのネイルを少しピンクがかったラメとストーンを乗せてもらい“かわいい”を連発かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわかわいいかわいいかわいいかわいい

 


chapter.7

17:30にむっちゃんと新宿アルタ前で待ち合わせしていたのだが、ネイル終わった時にiPhoneを見たら17:30で、やば、と思ったらむっちゃんから遅れる、と連絡が来ていて安心。

 


ネイルサロンを出、山手線に乗り、アルタ前でむっちゃんと、合流。

 


この日はクリスマス的なイベントを開きたいなということで集まっていた。

わたしは、今回の課題について油絵科であるむっちゃんにいろいろと相談と手伝ってもらい事があったためであった。

 


chapter.8

むっちゃんが、私が痩せたことを心配しつつも、細くなって綺麗になったことを褒めてくれて、私はなんて繊細で美しく私を守ってくれる人なんだろうと感動した。

 


新宿西口にある大きなウェルシアにいき、膨らむタイプの大きな絆創膏を買った。

むっちゃんには、自分の身体のこと、日常のことを隠すのをもう辞めたいと、伝えた。

堅揚げポテトも買った。

 


カラオケまねきねこに行く前に、西武デパートにゆき、クリスマスっぽいケーキ買って食べたいね、なんて話していたのだが、あまりにも人が多く、種類の多さに困りカヌレが6種類入ったセットをかった。私はどうしてもアールグレイが食べたくて、むっちゃんはブルーベリーがどうしても食べたかった。

セットには両方入っていた。

 


まねきねこの45番の部屋に入り、まだ手首に生理ナプキンを貼っていた私はそれを取り、ちゃんとした絆創膏を張る様子をむっちゃんに動画をとってもらった。

 


好きな音楽を流して少しだけ踊りながら。

 


ずっと、隠していたものを人に見せることが出来てうれしかった。

 


生理ナプキンの周りにカチカチに巻いてたテーピングを外すと普通の生理の時のような生理ナプキンが出てきて、普通の生理の時のように、クルクルとまとめてゴミ袋に捨てた。

 


手首から、深海から地上に打ち上げられた魚のように脂肪が溢れ出ていた。

 


むっちゃんは動画を撮り続けていた。

 


1日経っているのに血が止まらず血を拭きつつ、絆創膏を貼り、これはたぶん、縫わなきゃダメになるやつだな、と思った。

 


私の左手は既に握力が10くらいしかない。

絆創膏をはり、テーピングでカチカチにした。

 


chapter.9

そのあとは沢山歌を歌って、カヌレを食べて、沢山おしゃべりして、むっちゃんは課題用の写真をたくさん撮ってくれた。

 


トイレに行くとアクリル絵の具のようなテクスチャーと色の真っ黒な不正出血がおりものシートについていて、私はよくあることなのだがいつもこういった不正出血が起こると、変に脳が冷める。

 


むっちゃんと一緒に相対性理論の地獄先生を歌った

 


「サヨナラも言えないで いやだな わたし まだ 女子高生でいたいよ」

 


過去の恋バナをしたり、とにかく楽しい。

 


カラオケを出て、プリクラを撮った。

全部盛れて楽しかった。

別れ際も、むっちゃんは写真も、動画も撮ってくれた。私は大人や家族には恵まれてない、友達には恵まれている。私はもう大人なのだろうけど。

 


last.

帰りの電車の中で、23日は終わり。

こんな世界のこんな時代に、芸術と自傷紙一重、そんな自分に危機感、立つホーム、ステイホーム。

 

 

 

 

また体のこと書いてるわ

ふと思う、

普通の人?は、ご飯を食べても一日ゴロゴロしていても罪悪感を感じないのか?

 


痩せなきゃ、痩せなきゃ、痩せなきゃ

一体なんのために、

 


自分の体を自分で少しづつ減らしてゆくこと、俯瞰しているわたしには、ひよちゃんという女の子を止めることが出来ない。

うまれつき、華奢で線の細い人間だったら、こうはならなかったのか?

指先、首、線の細い人はどこを切り取っても美しい。なにより、パーツ一つ一つが自慢げに存在し、ひとつの体になっている。

 


わたしも、そうなりたい、なれない、なりたい

の、繰り返し。

生物としてありえない食生活をおくってまで、自分の命をけずってまで、私は細くなりたいのか。

問いかけても、どの私も答えてくれない。

ただ、たった一つの私のパーツを好きになってゆくことが増えていけば、ひよちゃんは少し、止まるのかもしれない、なんて、考えたり。

 


とにかく今は、体を無くしたい、不可能と分かっている目的地を作ってしまった私には無くす事しか正解がない。

生まれ変わったら、綺麗なガラスになって、どこかの誰かに大切に保管されていて欲しい。ガラスは死んで燃やされたら、溶けて違う形になることが出来る。

私は火葬されても、醜い骨格があらわになるだけで、形を変えることは出来ない。

可能性のない体、かえることの出来ない体。

未来のない体。

そして私は女だ。未来を求められる体として産まれてしまった。

はやりのからだ

過去に私の外見とか学習能力を散々バカにしてきた女の子のsns見ると、脱コル!とか言って自然体の私でいたい……みたいな、

脇毛や脂肪を誇張したイラストたくさん載せてて、脱コルとか最近聞くようになったけど、あーゆーこと言えるのって、ほんとに自分のことがすきで、なおかつ自分を否定されたことがない、否定されるはずがない、という思想から言えることだ。

 


シンプル羨ましい

 


お前らのせいで整形して死ぬほどダイエットして生理バグったんだぞ〜って言いたいけど、なんだかんだいまのフリフリの服で脱毛して常にダイエットのこと考えてる自分のことは嫌いじゃないし、その子のことが嫌いなだけで、みんながみんな自分が楽な姿で生きられればいいなと思う。

 


そのこ、の方が自分の容姿というものを見れてなくて、環境によって自分の見え方が変わってしまう人なわけだ。

その子の言う、脱コル、を本当の意味で実施した時、全身脱毛して、埋没して、ダイエットしてるかもしれないし

 


sns上での流行りを素直に受け止めるその姿をみてると、小さい頃ある程度傷ついて生きて強くなって良かったと思う。よくないけど。

なんだかんだ、どんな環境でも、わたしは、今の私の姿になっているんだろう。間違いとかないと思うし。自分が好きな姿でいられるなら。

 


嫌いな人のsns見るの楽しいよね。