再確認

 

なぜか、家族4人でグアム旅行からのかえりで、これからは家族4人、キングベット繋げて4人で毎日眠りに着きます、と宣言された。

私は、毎晩どこで夜を過ごそうかなやんだ。

しかもこれから大好きなアーティストAさんが来るという朗報を聞いてすでにロリータを着ていた私は、最近新しく買ったワンピースを着たくて探し回った、クローゼットをパニ症になってすべてひっくりかえしているのを、おばあちゃんは見つめて、そっと少しずつ声をかけてくれた。しかし私の荷物だけ、グアムから届いていないことが分かった。

Aさんはあっという間にやってきて、私は、夢の中だから、流暢に喋れた。

「あなたの作る歌が大好きで、あなたのその美貌は唯一無二でだれにもあてはまりません」

「いつかあなたの標本ができたら博物館に毎日いきます」

そんなことをわーーー!としゃべった、

その後にまたライブでお会いしましょうとご挨拶して頭を下げ部屋を出ると、エレベーターがあり、あ、1階をお願いしますと声をかけふと冷静になる。

銀色の箱の中、自分の顔が反射して写った姿は、顔はまるく、ロリータは胸が強調され、にきび跡、蒙古襞、丸い鼻、薄い二重、現実につき戻された。

私はこんな姿でAさんと話していたのか。

嗚呼、と、心の中でこれが現実なんだと受け止めきれずも、事実であることに変わりないことを知る。

エレベータが開くと、羽田空港で、私の荷物知ってますか?と聞くと四千頭身の石橋くんが優しく荷物のインフォメーションを教えてくれた。

 


目が覚めて、大好きなAさんの曲を聴いた。

やっぱり、苦しくなる美しさだった。MVは夢の中と違って黒のリップだった。

 


大雨の中、部屋干しで湿っぽく、私は、タバコを吸って、自分の、今の顔を再確認した。

ゆびわ

大切な指輪を2個置き引きされた

自然なものは有限で、無機物は無限だと勘違いしていた、それは私の目に付く範囲の事柄で。

1つ目の指輪は、17歳の頃s君とお揃いがしたくて、クリスマスにサプライズでプレゼントしたあこがれのブランドの指輪だった。

この時は、いつか私たちには終わりが来ると思っていたから、この一時だけでもとの思いで、お互いの左薬指にお揃いにした。

もう、5年もほぼ毎日つけていた。

もうひとつは、20歳の誕生日にs君がプレゼントしてくれた指輪だった。

私の指に会う号数がなくて取り寄せになって、到着予定日にワクワクしながら家で待っていたの覚えている。その指輪に合うネイルをしに行ったのも覚えている。

トイレで、手を洗う時、指輪を外して、うっかりしてしまった。

20分後に戻るともうどこにもなかった。

失ったことで、失望されたと勝手に思った。

連絡を入れると、しょうがないよと、返信が来て、この呆気なさに、また私には無関心なんだなと感じ取ってしまった。

お互い、誕生月だから、まあ、また、お揃い買おっか、と連絡が来た時、あ、そっか、そうでした、s君は、そして私の周りの人達は置き引きされた私を責めて怒ったりせず慰めてくれる人達ばかりだ、とパッと冴えた。

でもやはり、失ったことの辛さと、置き引きという現実の醜さに脳みそがグルグルと熱を持って回って、ダメになりそうだった。

どういう風に過ごしたらいい?

どういうこと?

ODとか

リスカはしないで、こないだせっかく手術してもらったんだから。ODは死なないって言い切るならしてもいいよ。

 


リストカットのこと、なんで私は自分の問題なのに他人事のように扱うのだろう。

でも、ニュースで流れる血を見る度に自分の体がカンナで削られるようなどんどんとなくなっていく気分になる、私はそんなことを、身近な人に味あわせてしまっている。

私の流す血は、ザクロでもグレープフルーツでも無い、ただ、体液で、嘘なんてひとつもない。

 


しないで、死なないで、居なくならないで、消えないで、全ての物事に私は常に思っている。だけど、それに近づく行為を私はずっとしていた。もう、だめだ、本当にもう、こんなこと、やってたらだめだって、自分を責めるわけでもなく、やめようと思えた。

 


その日の夜は、たくさん課題をやって、お酒を沢山飲んで、次の日の夜まで眠った。

知らない街

いつもの車窓から、いつもの時間帯のいつもの知らない近くの街並みなのに、交番に、3人の警察官と、道に、ぽつぽつと、警察官。

巡回する、警察官。

それ以外は、思うことはいつも同じで。

知らない運転手のかける音楽は小さくも無い音量で、疲れた耳がよく拾う。

イヤホンをつけて、何故かいつも同じアーティストのアルバムを再生しながら、S君を強く思い出す。

単純に大好きだなと思う、長く一緒に居るなと、疲れてる時こそ、顔や声を聞きたくなって、どうしようもなく、ぼんやり夜空をみつめる。

この時間はあまり好きではない。

 


また、巡回する、警察官。息が苦しくなる。

人を脅かす発言をするに至った迄、なにがあったの?きっと、私と同じ知らない街を歩いたことがあるよね。

これだけじゃない、蔓延る銃弾。

同じ街を時間を過ごして、同じ信号を渡った。

すれ違う人達と噛み砕く言葉たちを同等に扱わなければならないと改めて思った。

これらを強要してる訳じゃないし、異論はある。

私という存在の居心地の悪さと、社会を繋げるのは言葉や表現であって欲しいなと思った。

支離滅裂

私は頭が悪いから、気圧とか、雨とか、そういったもので心身が悪くなっているのが早々に分かっているのに、太陽や食事で穴を埋めることが出来ない。

単純に、ただの煩悩の塊になる。

言葉が欲しくなって、音が欲しくなって、温度が欲しくなる。

誰だって良くなる。良くないのは分かってる。それ、が普通になってしまったら、雨が降る度、1人で過ごせなくなってしまうから。

 


部屋の中が、昨日の温度を残したまま、部分的に冷めていっている。

妙な微熱で薬を飲んで、ずっと布団に横たわる。体力がない私は、冬の布団を未だにクローゼットの上の部分に持ち上げられず、ずっと使っている。

私に、突発的な熱を晴らしてくれる人がいるならば、私は今拒めないだろうと思う、ありがたいと思う。でも、心は冷めきっていて、その突発的な行為によってさらに穴が空く。

その穴を埋めることは誰にもできない。時間なのかもしれない。

こういった行為を、わたしは全部笑い話にしてしまう。

そんな自分がすごく嫌いだ。

気圧のアプリを見て、出前に頼って、好きなものを食べて。

ガリガリの時、それが大好きだよと言ってくれた人、舞い上がって踊った。

私の理想を受け止めてくれたように感じたから。

自分の容姿を自分ではわからない。

ただ、たった今の私を肯定してくれるこ言葉が欲しい。

体育祭

そう言えば、今日みたいな日って、体育祭やったりするのか。

窓を開けると、近くの中学校から、何かをしていて誰かを応援する歓声が私の家まで聞こえて、たった1人、何もしてないわたしも、その歓声に参加しているような気持ちになる。

あのころは、誰かが1位になったか、ビリになったかで、誰かが泣いたり、笑ったりしていた。

いまは、全速でたくさんの人のに囲まれて、円を走るなんて、無いな。

線路の音とまざって、遠くの方で雷と、鉄砲の音が聞こえる、誰かが走り出したり、綱を引っ張ったりするんだろう。

へやで、授業を受けながら、心は完全に知らない中学の体育祭になっている。

あの頃も、私はアパートから覗く体育祭と同じ立ち位置で、楽しんでいたように思う。

 

小さな雨が、目に見えて、秒速で大きくなっていき、雷がゆっくりと近ずいて来ている。

雲が大きく膨らんだり離れたり、その隙間から見える光に、季節を感じて、すこし、嬉しくなる。

 

 

おねしょ

実家にいる時、つまり18歳の時まで、頻繁におねしょをしていて。

いま、色々調べたり、本を読んだり、病院に言って、先生に聞いたりしたら、些細なストレスで寝てる時の神経が起きてしまって、人は、おねしょしてしまうらしい。

根本的なストレス治療を子供の時からして、また、恥ずかしいと思ってしまうその行為に親身に立ち会うことで幼少期に治すことが1番で、

思い返せば、小学1年生くらい時まで、おねしょが治らない私に、親はこまって、ただ、布団を濡らさない、ということを1番に、私に紙おむつを履かせた。

私は子どもながらにすごく屈辱敵で、未だに上手く言えない悲しさを覚えている。

家に来ていた家政婦さんや、親戚、知り合いにそれを知られることを恥じて、隠すことに精一杯だった。

今、21歳になって、自分にもし子どもがいて、おねしょが治らなかったら、きっと、小児科に相談するし、自分なりにその出来事と、その子との向き合い方を大切に考えるだろうと思った。

猫も同じだ、猫も、ストレスを感じたり、飼い主に伝えたいことがある時、トイレとは違う場所で排泄する、私は常にトイレの掃除をしながら健康状態をチェックしていた、もし誰かがお腹を下していたりしたら、どんなに会話したくなくても、恐怖の相手でもその事は、命に関わることだから、共有していた。

わたしは、もし、子どもがいたら、という話をしたけども、その、子ども、というのは、過去の私である、過去の私が何度おねしょをしたって、小児科に連れて行ったり、精神科に連れて行ったり、対話をしてくれる人はいなかった。

わたしは、21歳の私は、子どもの私と向き合う。とはいえ、18歳までおねしょをしていたわたしだから、18歳なんてたった4年前だ。

一人暮らしになって、1度もおねしょをしていない。マットレスがめちゃくちゃ綺麗だ。

生理がいつ来るかもだいたい分かって、布団を汚す、掃除する、ということが無くなった。

引っ越したてのころは、おねしょしたらどうしようという、不安が沢山あったが、そんなことを考えることはなくなった。

この4年でやっと、人間らしく、自分の生理現象について分かってきた。

3月

気づいたら、もう3月になっていた

3月

私にとっての3月は、いつだって苦しい。

今この情勢をみて、お父さんはどこに行くんだろうと、毎日考える。

もう、15年経つ、

目を閉じれば目まぐるしいあの3月の日々が瞼に流れる。そうやっていつも新しい学年を迎えていた。

もう大人になったねと声をかけられるけれどあの時から私は1ミリも動けていない、もう15年もたったのよ早いわねと言われたって、私の中では時間は止まってて、あの時産まれたもう1人の私が15歳になっただけで、私は時間の流れも自分の体も何も、現実も、変わったことなんてひとつもない。

まだ、わたしは、動いていない、し、もう、動けなくなる、

動けないからだと、私をつれて、いつまでもこうして、あの場所に止まっていよう。

みんなが忘れて、過去の人にして、でも、私はそこにいる。

カーテンから光が差し込んでいた。